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"The Child A Calendar-1903" (2026年も使えます)

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1902年にアメリカで発行された"The Child A Calendar-1903"──イラストを描いたのは、ジェシー・ウィルコックス・スミスとエリザベス・シッペン・グリーンです。 その時代を代表する女性イラストレーター二人によるカレンダーは好評を得て、翌年も日付のみを変えて発行されました。 ちなみに1903年は、来年2026年と曜日の並びが同じ。 つまり、使おうと思えばこのカレンダー、来年のカレンダーとしても使えます。 縦並びの表記は、慣れないと少し見辛いかもしれませんが。 1・2月/7・8月/11・12月がジェシー・ウィルコックス・スミス、3・4月/5・6月/9・10月がエリザベス・シッペン・グリーンのイラストです。

本を読む少年たち/読書週間 2025

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ずいぶん間があいてしまいました。 読書週間は10月27日〜11月9日までと、はるか昔になってしまいましたが、遅ればせながら今年も(今年中に)まとめます。 最近、X(旧Twitter)には全然浮上しなくなってしまったので、読書週間ツイートも毎日は出来ませんでした。 候補として用意したものの半分もあげられなかったかも。今回は、それらを全部ご紹介しますので、2週間分よりも多くなっています。 今年は、本を読む「少年」がテーマでした。☆印が付いているのが、Xに投稿したものです。 アリス・バーバー・スティーブンス (Alice Barber Stephens, 1858-1932) "Daydreaming" 1905年  ☆ ニーナ・K・ブライスリー (Nina Kennard Brisley, 1898-1978) 児童向け年鑑雑誌の挿絵 1921年 ホーナー・C・アップルトン (Honor Charlotte Appleton, 1879-1951) 1914年 ヴァイオレット・エッジコム・ジェンキンス (Violet Edgecombe Jenkins, 1876-1943) "A Branch of Study" 1925年 ベルハルディナ・ミデライ=ボクホルスト (Berhardina Midderigh-Bokhorst, 1880-1972) 1930年代 オランダの名前のカナ表記が今イチわからず… 読み方は間違っている可能性があります

花の妖精たち (by H.G.C. Marsh Lambert)

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花(植物)に妖精は付き物。 花の妖精を描いた画家といえば、真っ先に思い浮かぶのはシシリー・メアリー・バーカーですが、それ以前から──そしてそれ以降も、様々な画家がそれぞれの花の妖精を描いてきました。 今回紹介するのは、イギリスのイラストレーター、H.G.C. マーシュ・ランバート(H.G.C. Marsh Lambert, 1888-1981)による花の妖精たち。 花の妖精を描く場合、その花の主としての妖精を描いたものと、花そのものを擬人化したようなものとがありますが、マーシュ・ランバートのイラストは後者にあたります。 ポーズをとるフラワーフェアリーの下に詩的な文章を置くスタイルは、アメリカの作家エリザベス・ゴードンが、イラストレーターのM.T. ロスやジャネット・ローラ・スコットと組んで制作した本を思い起こさせます。 エリザベス・ゴードンの本 上段がジャネット・ローラ・スコット、下段がM.T. ロスによるイラスト (文章を読むにはクリックで拡大) H.G.C. マーシュ・ランバートの花の妖精たちが出版されたのは1920年代。本ではなくシリーズもののポストカードという形態でした。 今のところ12種類を確認していますが、これで全種類かは不明です。 カーネーション 水仙 紫苑 スイートピー

アーサー・ラッカムのシンデレラ

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欧米においてシルエット技法がイラストレーションに用いられるようになったのは、18世紀後半からと言われています。 それまでは主に肖像画の代わりとして使われていたものが、芸術的な表現のために使われるようになりました。 作家ジェーン・オースティンのシルエット(18世紀) 写真が一般に普及するまで、紙に横顔を切り抜く“切り絵”は手軽なポートレートとして重宝されました 今回とりあげたアーサー・ラッカム(Arthur Rackham, 1867-1939)の"Cinderella"も、このシルエット技法で描かれた名作のひとつ。 ですが、アーサー・ラッカムがこの表現を採用したきっかけは、純粋に芸術的な動機からではありませんでした。 この本が出版されたのは1919年。第一次世界大戦による物資の不足は出版業界にも影を落とし、かつてのように豪華な挿絵本を作ることは出来なくなっていました。そこで考えられたのが、シルエットで挿絵を描くこと。これならインクの色も少なくて済み、コストも大幅に抑えられる──いわば苦肉の策でした。 しかし、そこは流石に挿絵黄金期の中核を担ったアーサー・ラッカム。課せられた“制限”が、かえって生き生きと物語の世界を表現しています。 タイトルページ フルカラーのイラストは、左側にある口絵の1枚のみ 3色のカラープレートは6枚

ノーマン・ロックウェルの「若草物語」

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古き良きアメリカを描いた画家・イラストレーターのノーマン・ロックウェル(Norman Rockwell, 1894-1978)。 彼が描いた「若草物語」のイラストがあります。…といっても、これは「若草物語」を出版するために描かれたものではありません。 アメリカの伝記作家キャサリン・アンソニー(Katharine Anthony, 1877-1965)によるルイザ・メイ・オルコットの伝記、"THE MOST BELOVED AMERICAN WRITER(最も愛されているアメリカの作家)"の挿絵として描かれたものです。これは、雑誌“ウーマンズ ホーム コンパニオン”の1937年12月号~1938年3月号に連載されました。 1938年は「若草物語」の出版から70年であり、オルコットの没後50年でもある節目の年。キャサリン・アンソニーは、この年に伝記本"Louisa May Alcott"を出版しており、"THE MOST BELOVED AMERICAN WRITER"は、そのダイジェスト版だったようです。 “Women's Home Companion” 1937年12月号の誌面 毎回、ノーマン・ロックウェルによるカラーイラストが1枚と複数のモノクロのイラストが添えられていました source:eBay 描かれたカラープレートは全部で4枚。屋根裏で原稿を書くジョー(冒頭にあげた1枚)、編集者に原稿を見せるジョー、雨の中のジョーとベア教授。そして、おそらくはガーデナー家のパーティーでのジョーとローリー。この絵については、モファット家のパーティーでのメグとローリーとしているものもあり、確かに女性の顔立ちが他の3枚とは違うようにも見えますが、“ウーマンズ ホーム コンパニオン”の出版元が販売した、このイラストのプリントには"ジョーとローリー"のキャプションが付いているので、ジョーで間違いないと思います。 オルコットの伝記なのに「若草物語」の場面を描いたのは、もちろんオルコットとジョーを重ねているのでしょう。ご承知の通り、ルイザ・メイ・オルコットも四姉妹の次女であり、「若草物語」の四姉妹は彼女と彼女の姉妹をモデルに書かれました。 ジョーとローリー ジョーと編集者 ジョーとベア教授 なお、キ...

ウジェーヌ・グラッセの"美しき女庭師"たち

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スイス出身でフランスで活躍したウジェーヌ・グラッセ(Eugène Grasset, 1845-1917)。 アール・ヌーヴォーの先駆者と言われるその仕事はイラストやポスターのほか、建築、家具、ステンドグラス、ジュエリー、タイポグラフィー等々、非常に多岐にわたるため総じて“装飾家”と呼ばれています。 その彼が描いた"La Belle Jardinière"のシリーズ(1896年)。 これらは、パリにあった服飾専門の百貨店"Belle Jardinière(ベル・ジャルディニエール)"が顧客に配布するカレンダーのために描かれたものです。 ラファエロの名画"美しき女庭師(イタリア語では'La Bella giardiniera')"と同じ名前の服飾店。ウジェーヌ・グラッセが描いたのは、文字通り庭仕事をする美しい女性たちの姿でした。店の名前にかけて四季折々の花で華やかに彩ることが出来る題材は、カレンダーにうってつけだったのでしょう。 絵の中の女性たちが着ているドレスも、当時店頭に並べられていたであろう流行のスタイルが取り入れられました。 また女性の服の柄が、その月の星座のシンボルになっているほか、描かれた植物や人物の姿にも黄道十二宮への対応や寓意がこめられているといいます。 Janvier:1月 Février:2月

ケイト・グリーナウェイのティーパーティー

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イギリスと言えば、紅茶。 17世紀、中国からオランダ経由でイギリスに入って来た“茶”が、ここまで深く根付いたのには様々な理由があるようです。 曰く、ポルトガルから嫁いで来た王妃が貴族たちに広めたのがきっかけとか、コーヒーの取引ではオランダに勝てず、そんな中、当時の植民地が茶の栽培に適しており、輸入に頼らずとも自国生産が可能になったからとか、何より水質が合っていたからとか、とかとか… 近年では昔ほど飲まれなくなったとも聞きますが、それでも1日平均5~6杯は飲むのが普通と言いますから、いかに日常に欠かせないものであるかがわかります。 それゆえイギリスの芸術作品にも頻繁に描かれる“お茶の時間”──画家たちもしばしば題材にしています。 今回はその中からケイト・グリーナウェイ(Kate Greenaway, 1846-1901)の作品を集めてみました。 "Birthday Tea" 1877年 "You see, merry Phillis, that dear little maid, Has invited Belinda to tea…" (Under The Window) 1878年 "Tea Party for Two Outside" "First arrivals" 1879年

メラ・ケーラー(Mela köhler/Mela Koehler)のキノコづくし🍄

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オーストリアの画家、イラストレーターで、ウィーン工房ではデザイナーとしても活躍したメラ・ケーラー(Mela köhler/Mela Koehler, 1885-1960)。 最初に見たのが多分、冒頭にあげたキノコ帽子の子どもたちの絵でした。 当時は調べてみても画家の名前には、なかなか辿り着けず。その後、メラ・ケーラーという画家を知った時、その作品群の中にこれとよく似たポストカードを見つけ、「ではこれもメラ・ケーラーだったのか」とわかったのでした。

ローズ・オニールの広告 "JELL-O"編

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"キューピー"の生みの親で、アメリカの女性漫画家の草分け。イラストレーターで画家、彫刻家、作家でもあり、婦人参政権運動の活動家でもあったローズ・オニール(Rose O’Neill, 1874-1944)。 一時は世界一裕福な女性イラストレーターと言われるほど売れっ子だった彼女は、様々な企業の広告も手がけました。 中でも有名なのは、ゼリーの素"Jell-O"の広告。彼女のイラストは雑誌などの広告だけでなく、メーカーが無料配布していたレシピブックにも使用され、それらの冊子は今では人気の紙モノ(ephemera)として売買されています。 ローズ・オニールがキューピーを正式にキャラクターとして“Good Housekeeping”誌で発表したのが1909年。JELL-Oの広告を描き始めた時期とも重なっているため、レシピブックにもキューピーが登場、可愛らしい姿で大活躍しています。

"オレンジとレモン"

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イギリスの伝承童謡マザーグースの一篇 "オレンジとレモン"。 ロンドンの鐘の名前を順番に歌いながら、"ロンドン橋落ちた" や "通りゃんせ" のような遊びをする、イギリスでは誰もが知る歌です。 小説や映画の中で引用されることも多く、有名なのはジョージ・オーウェルの「1984年」ですが、私が初めて "オレンジとレモン" の歌を知ったのは、P. L. トラヴァースの「メアリー・ポピンズ」でした。 シリーズ3冊目『とびらをあけるメアリー・ポピンズ』の中のエピソード「トイグリーさんの願いごと」で、ジェインが好きだと言う "オレンジとレモン" (ちなみにマイケルは "ロンドン橋が落ちる" をあげています)。明るく爽やかなタイトルのその歌が、ギョッとするような歌詞で終わると知ったのは、それから更にずっと後のことでした。 以下に原詞と谷川俊太郎による訳詞、小鳩くるみさんによる歌唱音源をあげておきます。 『"Oranges and Lemons" (原詞) Oranges and lemons, Say the bells of St. Clement's. You owe me five farthings, Say the bells of St. Martin's. When will you pay me? Say the bells of Old Bailey. When I grow rich, Say the bells of Shoreditch. When will that be? Say the bells of Stepney. I'm sure I don't know, Says the great bell at Bow. Here comes a candle to light you to bed, Here comes a chopper to chop off your head.』 『"オレンジとレモン" (訳:谷川俊太郎) オレンジとレモン セント・クレメントのかねはいう おまえにゃ5ファージングのかしがある セント・マーティンのかねはいう いつになっ...