和菓子の見本帖
現在、私たちが“和菓子”と呼んでいるお菓子──殊に様々な意匠を凝らしたお菓子が広く一般的になったのは、江戸時代に砂糖が普及したことがきっかけでした。
それまで砂糖はその希少性ゆえに、疲労や衰弱の薬として扱われていました。それが貿易や自給率の上昇で嗜好品として使えるようになり、それにつれて市中で菓子を商う店も増えていきます。それぞれに工夫をし、見た目も美しい菓子が競うように作られました。
ここで紹介しているのは、その時代の菓子店が作った菓子の見本帳です。
見本帳には、デザインやレシピの記録というほかに、いわゆる商品カタログという役割がありました。店は得意先にこれらを見せ(あるいは配布し)注文をとっていました。
ここにあげたものの多くは明確な発行年がわかりませんが、例えば老舗和菓子店の“虎屋”で保管されている同様の見本帳で一番古いものが1695(元禄8)年の発行といいますから(※同店の記事で1685年との記述があるものもアリ)17世紀末には、各店でこのような見本帳が作られていたものと思われます。
ちなみに虎屋の見本帳の一部は、虎屋の公式サイトで紹介されていますが、中には今でも販売されているお菓子もあるそう。見本帳の形式はこの記事の中ほどにあげたものとほぼ同じですね。
以下、国立国会図書館デジタルコレクション(NDL)に収録されている見本帳の画像から幾つか。
【御菓子雛型 [1]】
ここから下は明治時代に入ってからのもの。1885(明治18)年の見本帳です。
【船橋菓子の雛型 [1]】
【船橋菓子の雛型 [2]】
本文とは関係ないのですが、この「船橋菓子の雛型」は、合間合間にとじ込まれたピンク色の紙も可愛い
国立国会図書館デジタルコレクション(NDL)では、これらの見本帳を全ページ閲覧&ダウンロードもできます。
ここに紹介していないページがまだまだ沢山あるので、是非直接アクセスして見てみてください。
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