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"オレンジとレモン"

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イギリスの伝承童謡マザーグースの一篇 "オレンジとレモン"。 ロンドンの鐘の名前を順番に歌いながら、"ロンドン橋落ちた" や "通りゃんせ" のような遊びをする、イギリスでは誰もが知る歌です。 小説や映画の中で引用されることも多く、有名なのはジョージ・オーウェルの「1984年」ですが、私が初めて "オレンジとレモン" の歌を知ったのは、P. L. トラヴァースの「メアリー・ポピンズ」でした。 シリーズ3冊目『とびらをあけるメアリー・ポピンズ』の中のエピソード「トイグリーさんの願いごと」で、ジェインが好きだと言う "オレンジとレモン" (ちなみにマイケルは "ロンドン橋が落ちる" をあげています)。明るく爽やかなタイトルのその歌が、ギョッとするような歌詞で終わると知ったのは、それから更にずっと後のことでした。 以下に原詞と谷川俊太郎による訳詞、小鳩くるみさんによる歌唱音源をあげておきます。 『"Oranges and Lemons" (原詞) Oranges and lemons, Say the bells of St. Clement's. You owe me five farthings, Say the bells of St. Martin's. When will you pay me? Say the bells of Old Bailey. When I grow rich, Say the bells of Shoreditch. When will that be? Say the bells of Stepney. I'm sure I don't know, Says the great bell at Bow. Here comes a candle to light you to bed, Here comes a chopper to chop off your head.』 『"オレンジとレモン" (訳:谷川俊太郎) オレンジとレモン セント・クレメントのかねはいう おまえにゃ5ファージングのかしがある セント・マーティンのかねはいう いつになっ

貝殻の妖精たち

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オーストラリアのイラストレーター、イダ・レントール・アウスウェイト(Ida Rentoul Outhwaite, 1888-1960)。 オーストラリアの自然を背景に繊細な画風で描かれた妖精たちのイラストは、没後65年近く経った今でも多くの人々に愛されています。 ネット上でも、ちょっと検索すれば沢山の作品が出てきますが、その中でも特に人気で、よく見かけるイラストの数々…上にあげた貝のベッドで眠る妖精も、そのうちのひとつではないでしょうか。 実はこれ元々は、シェル石油でおなじみのシェル社(Royal Dutch Shell)の子会社である‘The British Imperial Oil Company(現・Shell Australia)’の宣伝用に描かれたイラストでした。宣伝用といってもポスターや雑誌広告ではなく、媒体は子どものための絵本。16ページほどの冊子に、短いお話とこの冊子のために描きおろされたカラーイラストが6枚、更にモノクロのイラストも数点入った、かなり凝ったものです。 当時、すでに著名なイラストレーターだったイダ・レントール・アウスウェイトを起用してのこの様な企画が実現したのは、The British Imperial Oil Companyがイダの地元メルボルンにあったからこそでしょう。 宣伝用に出版され、オーストラリアのほかニュージーランドでも配布されたらしい絵本は2種類。"The Fairy Story That Came True"と"The Sentry and the Shell Fairy"のタイトルがつけられています。 先に出版されたのは"The Fairy Story…"のほうで、1921~1922年頃。その後1923~1924年頃に"The Sentry and…"が出版されました。広告用の冊子ということもあり、正確な発行年はわからないようですが、その2冊とも幾度か増刷されており、それぞれ僅かに違いのある版が確認されています。 物語については、"The Sentry and…"のほうは George W. Martin 作となっていますが、"The Fairy Story…"のほうは不明です。   "T

和菓子の見本帖

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現在、私たちが“和菓子”と呼んでいるお菓子──殊に様々な意匠を凝らしたお菓子が広く一般的になったのは、江戸時代に砂糖が普及したことがきっかけでした。 それまで砂糖はその希少性ゆえに、疲労や衰弱の薬として扱われていました。それが貿易や自給率の上昇で嗜好品として使えるようになり、それにつれて市中で菓子を商う店も増えていきます。それぞれに工夫をし、見た目も美しい菓子が競うように作られました。 ここで紹介しているのは、その時代の菓子店が作った菓子の見本帳です。 見本帳には、デザインやレシピの記録というほかに、いわゆる商品カタログという役割がありました。店は得意先にこれらを見せ(あるいは配布し)注文をとっていました。 ここにあげたものの多くは明確な発行年がわかりませんが、例えば老舗和菓子店の“虎屋”で保管されている同様の見本帳で一番古いものが1695(元禄8)年の発行といいますから(※同店の記事で1685年との記述があるものもアリ)17世紀末には、各店でこのような見本帳が作られていたものと思われます。 ちなみに虎屋の見本帳の一部は、 虎屋の公式サイト で紹介されていますが、中には今でも販売されているお菓子もあるそう。見本帳の形式はこの記事の中ほどにあげたものとほぼ同じですね。 以下、国立国会図書館デジタルコレクション(NDL)に収録されている見本帳の画像から幾つか。 【御菓子雛型 [1]】